被相続人に「負の遺産」があるケースでは、相続放棄するのがベストです。ただし、相続放棄の手続きは相続が始まった後しかできません。
生前のうちになるべく資産のマイナス分を遺さないようにするには、何か別の方法を使って対策する必要があります。
本記事では、家族に迷惑をかけないよう「負の遺産」について早めに対策しておきたいと考える人へ、具体的にどんな方法があるのか紹介します。
目次
1. そもそも相続放棄とは
相続放棄とは、家庭裁判所の許可を得て「法定相続人としての地位」を手放す手続きです(民法第938条)。
いったん放棄の手続きをすると「その相続に関して初めから権利がないもの」とみなされるようになり、遺産を取得できなくなります。
1-1 相続放棄が必要になる理由
相続放棄が必要になるのは、多額の「負の遺産」が原因です。そもそも遺産とは、亡くなった人に属する一切の権利義務のことだと定義されています(民法第896条)。
権利とは、不動産や預貯金などの金銭的価値のあるものを所有する権利です。
一方の義務は、いわゆる「債務」であり、消費者金融や銀行に借りたまま返すことのできなかったお金や、交通事故被害者に対する損害賠償義務のことを指します。
つまり、相続人は「利益に繋がるプラスの財産」と一緒に「損失に繋がるマイナスの財産」も引き継ぎます。
この時、マイナスの財産がプラスの財産と同額か、もしくはそれ以上であれば、そのまま相続手続きを進めて財産をもらい受けても損になるだけです。
このように判断した相続人が、遺産の受け取りを拒否するため「相続放棄」を活用します。
2. 生前の相続放棄はできない
では、あらかじめ多額の債務があると分かっていれば、亡くなる前に相続放棄しておけるのでしょうか。
結論として、生前のうちに相続放棄することは不可能です。
相続人が自分の地位を放棄できる時期を「自己のために相続の開始があったことを知った時から」(民法第915条文)とする制度上、相続の開始時、つまり被相続人が死亡した時点以降しか手続きを受理してもらえないのです。
2-1 生前作成した念書(誓約書)も無効になる
また、生前のうちに「亡くなったら相続を放棄する」という内容の念書(誓約書)を作成しても、これは無効です。
相続放棄とは、相続人自身の申出が家裁で認められた時に効力が生じる制度であり、当事者が意思を示すだけで成立するようなものではないからです。
3. 生前の相続放棄に代わる手段
生前の相続放棄ができないとなると、それに代わる手段はないのでしょうか。考えられる方法として、利用しやすい順に以下5つが考えられます。
- 遺言書の作成
- 遺留分の放棄
- 債務整理
- 生前贈与
- 推定相続人の廃除
生前の相続対策は基本的に被相続人自身で行いますが、上記②の手続きは他の相続人に協力してもらう必要があります。以降では、上記①~②の各方法について具体的に解説します。
4. 負の遺産対策①: 遺言書の遺言書の作成
遺言書には、作成した本人の財産について「誰に・何を・どのくらいの割合で相続させるのか」を指定する機能があります。
この機能を活用すれば、生前のうちに資力のない相続人が債務を引き受けることのないよう対策できます。
なお、遺言書に記載しなかったからといって、死亡時に債務がなくなるわけではありません。
そこで、もともと資力のある人やプラスの財産を承継する人に債務を引き受けてもらう内容か、プラスの財産を売却して返済してもらう「清算型遺言」を検討することになります。
ただし、遺言書を使った対策は万全ではありません。内容の効力に関しては、下記2つの注意点があります。
4-1 「債務だけ相続させる内容」の遺言は原則無効
「特定の人に債務だけ引き受けさせる内容」の遺言は、債権者の同意がなければ無効です。このような遺言を無条件で認めると、相続を利用した債務逃れが可能になってしまうからです。
具体的には「プラスの財産は被相続人の兄Aに遺贈・マイナスの財産は被相続人の子Bに相続」とのように遺言しておき、相続開始後にBだけ自己破産する方法が考えられます。
この時プラスの財産はB名義ではないため、換価処分や債権者分配の対象にはなりません。
そして、Bの破産手続きが終わって債務が全額免除された時にAから自分の相続分を譲渡してもらえば、Bは経済的損失を一切負わずに有益な財産だけを受け取れます。
以上のような手法がとれてしまった場合、債権者が一方的に回収手段を失い、ひいては利益侵害に繋がります。
そこで、ある人に債務だけ相続(もしくは遺贈)させる内容の遺言は、作成する時に債権者に是非を判断してもらう必要があるのです。
- 遺言が無効になるのは債務相続に関する部分のみ
補足として、本ケースで遺言が無効になるのは、債務の相続に関する記載部分だけです。該当部分以外の遺言に関しては、署名捺印漏れや訂正ミスなどがない限り有効です。
4-2 確実に債権回収手続きを免れる手段にはならない
最も注意したいのは、債権者は相続人であれば誰に対して債務履行を要求できる点です。
より分かりやすく言えば、遺言で債務を引き受けた人が履行できなかった場合、債務を受け継いだかどうかに関わらず、他の相続人全員が債権回収手続き(督促や差押えなど)の対象になってしまいます。
遺言書には法的効力がありますが、それは被相続人と相続人との間にしか及びません。
債権者などの対外的な立場にある人については、遺言ではなく民法の「相続権の割合に沿って各相続人が負担する」という規定が適用されます。
つまり、共同相続人はそれぞれの実際の相続内容に関わらず「併存的に債務を負う人」(=連帯債務者)とみなされるのです。
以上の点から、遺言書で負の遺産対策をする時は「債務を負ってもらう予定の人に十分な返済能力があるか」を慎重に見極めなければなりません。
5. 負の遺産対策②: 遺留分の放棄
遺留分とは、相続人(被相続人の兄弟姉妹を除く)に各自認められる「最低限保障される遺産の取得分」です。相続放棄は死後しかできませんが、遺留分の放棄なら生前のうちに手続きできます。
そこで、債務を負担できない相続人は遺留分放棄を家裁に申し立てておき、遺産は他の相続人が受け取る旨の遺言書を被相続人が作成する方法が考えられます。
この後解説するように、遺留分放棄に債務を減免する効果はありません。負の遺産対策としては、むしろ「債務を負担する相続人にプラスの財産を集中させる」ことを目的として利用します。
具体的なやり方としては、債務を負担できない相続人は遺留分放棄し、債務を負担する相続人についてはプラスの財産を譲る内容の遺言書を作成しておきます。
こうすることで、死後プラスの財産に対する遺留分の請求は行われなくなり、債務履行を円滑にこなせるようになります。
以下では、遺留分放棄の手続き方法や必要書類を紹介した後に、負の遺産対策として利用する時に注意したいポイントを2つ紹介します。
5-1 遺留分放棄の手続き
遺留分を放棄する時は、まず遺留分を有する相続人から「被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所」に申立書類を提出しましょう。提出が必要なのは下記一式です。
- 記入済の申立書
- 財産目録
- 被相続人の戸籍謄本
- 申立人の戸籍謄本
- 収入印紙800円分(申立書に貼り付け)
- 返送用の郵便切手(1,500円程度/管轄裁判所により金額が異なる)
なお申立書と財産目録の書式は、裁判所公式サイトからダウンロードできます。
5-2 遺留分放棄の条件
遺留分放棄の申立ては必ずしも成功するとは限らず、家庭裁判所が認めてくれない場合もあります。
放棄を許可されるのは、個別の事例で下記3つの条件が揃っていると判断できる時だけです。
- 本人の意思で申立てがされた
- 合理的理由と必要性がある
- 放棄する相続人に代償が支払われている
申立書に「被相続人に勧められたから」と書くと、本人の自由意志によるものではないとして許可されません。
また、遺留分放棄しない相続人には債務を含めて財産を譲り受けることになるということは、プラスの財産を遺せる目途が立っている状況でしょう。
この場合、共同相続人の間で不公平が生じるため、相当の代償が被相続人から支払われていなくてはなりません。
上記3条件を満たすと家裁に判断してもらうには、必要であれば事情説明書などを作って添付するなど、申立て時の対策が不可欠です。
対策は裁判所の判断傾向から立てる必要があるため、過去の事例に詳しい弁護士や司法書士などの専門士業に相談しましょう。
5-3 放棄しても債権回収の対象になる可能性あり
遺留分を放棄しても、対策1の遺言書を活用する方法と同じように「債務を相続した人が弁済できなければ債権回収の対象になってしまう」という問題が起きます。
遺留分を放棄しても、相続人としての地位は残ります。対外的には、遺留分放棄者も民法のルールに沿って一定の割合でマイナスの財産を負担する立場であり、債権者から履行請求があれば返済に応じる必要があるのです。
6. 負の遺産対策③: 生前の債務整理
やはり最も確実なのは、生前のうちに債務額を減らしておくことでしょう。弁済できるよう少しでも多く収入を確保することも方法のうちですが、効果的なのは利息や元本をカットできる「債務整理」です。
6-1 債務整理の方法
債務整理の方法には4つあり、それぞれ減額内容や手続き方法に違いがあります。
- 方法1: 任意整理(任意交渉)
債権者と交渉し、金利0%への見直しや弁済期間の延長を行う手続きです。2010年6月の利息制限法の改正前から取引していた場合、当時払っていた現在の法定金利を超える部分の利息(=過払金)を残債に充当し、さらに債務額を減らすことができます。
- 方法2: 過払金請求
利息制限法が改正される前の取引履歴(借入と返済の記録)を確認し、当時払っていた現在の法定金利を超える部分の利息を返還してもらうよう、債権者と交渉する方法です。
利息返還は基本的に現金で行われるため、プラスの財産の確保に役立つだけでなく、過払金請求先以外の債権者への弁済にも充てられます。
- 方法3: 個人再生
裁判所で許可を得て、債権者の数に関わらず今ある債務を5分の1程度(下限100万円)まで圧縮する手続きです。
この際、住宅ローンは手続きの対象から除外し、抵当権履行(=債権者による競売手続き)を回避することも可能です。
また、自己破産とは異なり、債務者に対する財産処分は行われません。
- 方法4: 自己破産
裁判所で許可を得て、債権者の数に関わらず今ある債務の履行義務を免除(=免責)してもらう手続きです。申立ては失業など「返済不能に陥っていること」が条件になります。
申立てをすると、債務者の財産は生活に最低限必要な分を除いて処分され、免責を得るまで一定の職業(会社役員や士業など)に就けなくなります。
任意整理と過払い金請求は、債権者が交渉に応じるかどうかが問題です。特に任意整理に関しては「就労できる残りの年数が短い」などの理由で債権回収に不安を抱かれてしまう可能性があり、交渉に強い専門士業を通じて粘り強く話し合う必要があります。
一方、裁判所への申立てが必要になる個人再生と自己破産は、債務圧縮の効果が高く、債権関連法の要件を満たせばほぼ必ず手続きに成功します。
しかし、個人再生は一定の安定した収入が要件になり、自己破産では職業制限や財産処分があることを考えると、安易に踏み切るべきではありません。
債務整理した方がいいのか、その場合どの方法が向いているのかは、必ず弁護士や司法書士に相談しましょう。
7. 負の遺産対策④: 生前贈与の活用
プラスの財産がまだ確保できているケースでは、これ以上減少しないよう生前贈与しておく方法があります。
いったん家族の名義になった財産には、生前の被相続人に対する債権回収手続き(差押えなど)が及びません。
贈与した財産は家族それぞれに運用してもらい、亡くなるまでに債務を履行しきれなかった場合の返済手段にしてもらえます。
生前贈与に関しては、債権者の利益を侵害しないように注意し、また、先で触れた「遺留分」にも気をつけましょう。次にてこれらの注意点を解説します。
7-1 生前贈与が債権者への「詐害行為」になる場合がある
生前贈与する時は金額やタイミングが重要です。客観的に見て「財産隠しや返済逃れの目的がある」と判断できる状況だと、債権者の訴えで贈与が無効になる恐れがあるからです。
民法の債権債務関係について定める条文では、債務者が債権者を害することを知りながらする行為を「詐害行為」(第424条の1~5)と呼んでいます。具体的な詐害行為の種類としては下記4パターンが挙げられます。
- 債務を履行しないまま、自分の財産を贈与する
- 債務を履行しないまま、自分の財産を相当価格で売却する
- 債務者が他の人から債権を譲り受ける時、債権額を上回る財産を引き渡した(過大な代物弁済)
- 一部の債権者へ優先的に弁済し、他の債権者には履行しない(偏波弁済)
これらの詐害行為が債権者に知られると「詐害行為取消請求」が発生します。
生前贈与の状況が①~④のどれかに当てはまると客観的に判断できる場合、裁判所に訴えが起こされ、既に受贈者名義になっている財産にも差押えが入ってしまいます。
上記のような失敗を避けるには、詐害行為ではない(もしくは詐害行為になると知らなかった)と証明できるよう「返済不能になる前に贈与した」「贈与分は債務履行に影響のない金額だった」といつでも説明できる状況で生前贈与しなければなりません。
その証拠資料として、適切な文面の贈与契約書も作っておく必要があります。
7-2 贈与時期によっては「遺留分侵害額請求」の対象になる
相続開始前1年以内の生前贈与に対しては、遺留分がもらえなかった相続人から補償を請求できます(=遺留分侵害額請求)。
なお、遺留分を侵害する目的で行われた贈与に関しては、相続開始の1年より前に行われた場合でも遺留分請求対象になります。
よく問題になるのは、生前贈与した相手が将来債務も相続する場合です。例として「代表者名義の融資残高がある会社につき、子に自社株を生前贈与して事業承継しようとするケース」が挙げられます。
贈与はなるべく共同相続人の間で不公平が起きないようにするべきですが、何らかの事情で特定の人だけ贈与額を優遇する必要がある場合、専門士業や家族とよく話し合って決めましょう。
8. 負の遺産の対策⑤: 推定相続人の廃除
相続人としての地位を失くす方法は「相続放棄」だけではありません。他にも「推定相続人の廃除」と「相続欠格」があります。このうち推定相続人の廃除であれば、被相続人の生前に任意で手続きできます。
【参考】相続人の地位を喪失させる方法
- 相続放棄: 被相続人の死後、相続人の申立てで地位を喪失する
- 推定相続人の廃除: 被相続人の生前、被相続人の申立てor遺言で地位を喪失する
- 相続欠格: 生前から死後を通し、相続人に「欠格事由」が生じた時に地位を喪失する
とはいえ、債務を相続させないようにする目的で廃除するのは、あまり現実的な手段とは言えません。その理由は以下で説明する通りです。
8-1 廃除の要件
廃除の手続きでは、手続き理由が法律上の要件に当てはまるか審理されます。法律上の要件とは、民法892条に記載された下記3つです。
- 被相続人を虐待した
- 被相続人に重大な侮辱を加えた
- 相続人に著しい非行があった
どれか少なくとも1つに該当すると判断されなければ、廃除の効力は発生しません。
各要件を見れば分かる通り、廃除は「自分を傷つけた人に遺産を渡さない」という生前の意思を相続に反映させようとするのが制度趣旨です。
特に理由はない、あるいは負の遺産の存在から相続人を守るためといった状況では、到底認められません。
- 相続人が自分を廃除することは不可
制度趣旨上、「相続人が自分を廃除する」ということも不可能です。自分の意思で相続人としての地位を手放すのであれば、やはり死後になってから「相続放棄」する他ありません。
8-2 【参考】相続欠格の「欠格事由」とは
相続人の地位は、生前・死後問わず「欠格事由」が発生すれば自動的に失われます(民法第891条・第965条)。
しかし、負債の相続が発生しないよう欠格事由を意図的に発生させるというのも、また現実的ではありません。相続人の欠格事由とは、それぞれ悪意がないと成立しない重大な行為ばかりだからです。
以下が相続人欠格事由です。
- 遺言書の偽造・内容の改ざん・破棄・隠ぺいなどを行った
- 詐欺や強迫により、遺言書の作成・撤回・取消し・変更をさせた
- 2と同じ手段で、遺言書の作成・撤回・取消し・変更を妨害した
- 被相続人や同順位あるいは先順位の相続人を、故意に死亡させた
- 4で挙げた人を故意に死亡させようとして、刑事罰を受けた
- 被相続人が殺害されたと知りながら、それを告発しなかった(判断能力のない人・加害者の配偶者・加害者の直系血族を除く)
9. まとめ
生前の債務は「負の遺産」として相続人に受け継がれます。これを防ぐには家庭裁判所の許可を得て相続人の地位を失う相続放棄が確実ですが、生前は手続きできません。
そこで、生前のうちに負の遺産をなるべく少なくする他の方法として、下記5種類が挙げられます。
9-1 「負の遺産」の生前対策
- 遺言書を作成し、資力のない相続人に債務を承継させないようにする
- 遺言書を作成した上で、資力のない相続人は「遺留分」を放棄する
- 相続開始までに完済できるよう努力しつつ「債務整理」で残債を減らす
- プラスの財産を「生前贈与」で家族名義にしておき、差押えが及ばないようにする
- 要件を満たすのであれば「推定相続人の廃除」をしておく
注意したいのは、廃除などの手続きで地位を失わない限り、債務を引き継がなかった相続人も督促や差押えの対象になる可能性がある点です。
プラスの財産を少しでも多く確保する方向で対策する時は、債権者の利益に十分配慮しましょう。
個別ケースでの「負の遺産」対策は、状況を総合的に判断して方法を決めます。また、債務整理の成功率が上がるなど、着手時期は対策方法の選択肢にも影響します。
債務の相続に関して不安がある人は、早めに弁護士や司法書士などの実例に精通する専門士業に相談しましょう。
遠藤秋乃
大学卒業後、メガバンクの融資部門での勤務2年を経て不動産会社へ転職。転職後、2015年に司法書士資格・2016年に行政書士資格を取得。知識を活かして相続準備に悩む顧客の相談に200件以上対応し、2017年に退社後フリーライターへ転身。